御祭神

愛染明王

月蝶寺の御本尊は愛染明王様です。

一般的には親しみをこめて愛染さんと呼ばれます。

住職蝶朝は愛染明王様に惹かれ17歳の頃から当時は特にこれといった理由もなかったのですが、足繁く参拝をしてきました。はじめて自分で稼いだお金で提灯を奉納したことは映像が蘇るほど鮮明に覚えています。

仏教のほとんどの宗派では煩悩や欲はよくないものとされています。

しかし真言宗開祖の弘法大師空海の教えは、煩悩があるからこそ感謝の気持ちが持て、謙虚になり、生きている意味やこの命をどう生かせば良いかを考えることができるというものです。

その真言宗の教えの象徴がこの愛染明王様です。

愛染明王様は愛欲・煩悩を浄化し悟りを求める心に導いて下さります。

蝶朝が10代後半~30歳までは神仏の世界と、愛欲金煩悩うずめく水商売と言う夜の世界、一見対極に見える世界に生きていました。

現世に愛染さまに導かれるようにと、何かのお力が蝶朝に気付かせるため、そのような人生経験体験させ、だからこそさらに愛染さまに強く惹かれ出会わせて下さったのしれません。

愛染明王様はめらめらと燃えるように逆立つ髪の毛、眉を吊り上げてにらみつける3つの目、牙をむき出してカッと開いた口、6本の腕を持つ恐ろしい姿の忿怒(ふんぬ)尊です。

その全身で怒りを表わす姿が「恐ろしい」と思われるかもしれません。

でも本当は愛染明王様は心優しい神様です。呪文のパワーが人の姿をとって現われたお姿で、怖い顔をして我々の煩悩を威嚇されています。

そして恐ろしい姿をしているのは、私達が間違った方向に行かぬよう内外のあらゆる障害を力づくで取り除き守って下さるためです。

また愛染さまのお身体が赤いのは大愛と大慈悲が溢れているためです。

愛染明王は、愛の仏として知られており、縁結び、良縁成就、夫婦和合の他、人間関係の調和などの「敬愛」のご利益で、古来から信仰されてきました。

荼枳尼天

荼枳尼天(だきにてん)様は住職蝶朝の守護神です。

荼枳尼天様は古代インドでは人の肉や心臓を食べる女夜叉(鬼神)でしたが、日本に渡った後大日如来の説法を受け、心を入れ替え仏教の善神になり白い狐に乗る美しい天女の姿にりました。

大日如来の説法後は、人を食べるのを禁じられたかわりに人の死期を6ヶ月前に知る力を与えられ、死後の心臓のみを食べることを許されました。

日本に渡った後は、その孤を日本古来の稲荷の神様の使いの狐と結びつけ、稲荷の神様と同じであると信じられるようになりました。それも私の宗派の開祖である空海の計らいによってでした。(すべて後から知ったことです笑 そもそもの無学ゆえか、この“後から知った”が多過ぎて自分でも笑けてきます)

このため、稲荷神社に荼枳尼天様を祀る場所があったり、荼枳尼天様を稲荷神として崇める寺院も存在しています。

そのことから開運出世、商売繁盛、福財をもたらす神様として人気を集め信仰が広まっていったといいます。

また、荼枳尼天様は「貴狐天皇(貴狐天王)」とも呼ばれ、天皇という語を含むことから天皇即位時に行われる灌頂の儀式でも祀られたと言います。

織田信長や徳川家康は天下統一のために絶大な現世利益を与えるとされた荼枳尼天を信仰したとされています。

しかしその反面、信仰は一生ものであることが要求され、僅かでもお勤めを疎かにするなら、強烈な祟りを下すと言われています。

鬼子母神

鬼子母神様は安産・子育てなど子供を守る優しいの女神様です。

安産、子育てというと小さい子を見守る優しげな神様を想像しますが元々は子供をさらっては食べる鬼神でした。

名前に「鬼」がついているのは恐ろしい人食い鬼だったからです。

鬼子母神様は元々インドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、子供が1000人いたとされています。(子供の人数は諸説あり)

しかしその性質は暴虐この上なく、多くの子供たちを育てる栄養を取るために人間の子供をさらって食べるので、人々から恐れ憎まれました。

その行いを見かねたお釈迦様は、鬼子母神様が最も愛する末っ子ピンガラを隠しました。

我が子を失った鬼子母神様は世界を7周する程必死でピンガラを探し回りました。

お釈迦様は「1000人いる子の一人を失っただけでお前は嘆き悲しむが、たった一人の子を失う人間の親達の悲しみや心の痛みが分かったか?」

そして「人間の子を殺すな」そう言ってピンガラを返してあげました。

そこで鬼子母神様は初めて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依しすっかり心を入れ替えそれまでとは全く正反対の子どもの守り神へ生まれ変わりました。

そして鬼子母神様が子だくさんだったことから子宝、安産、子育ての神様として人々から慕われるようになりました。

この鬼子母神さまともご縁深く、またご興味がございましたらお話させて頂きます。